薩摩の迎賓館
仙巌園は「迎賓館」として使われました。幕末には篤姫や幕臣の勝海舟、維新後もロシア皇帝ニコライ2世、英国国王エドワード8世が皇太子時代に訪れています。
仙巌園は「迎賓館」として使われました。幕末には篤姫や幕臣の勝海舟、維新後もロシア皇帝ニコライ2世、英国国王エドワード8世が皇太子時代に訪れています。
薩摩焼は、16世紀末に朝鮮から渡来した陶工によって始められた、鹿児島を代表する工芸品です。豪華絢爛な「近代薩摩焼」は、斉彬の代に誕生しました。
謁見の間は、来客への応接に使用された部屋です。二間続きで、廊下も畳敷きであることから、一度にたくさんの人と会うことができました。
忠義が一日の大半を過ごした部屋で、書類の決裁を行ったり昼食をとっていました。庭園全体を最も美しく見られる部屋です。
忠義の寝室。この部屋の床下には、もみ殻が敷き詰められた層が設けられており、それが断熱材の効果を果たしていました。
当主専用の浴室。当時は、別な場所でお湯を沸かし、それを運んできていました。
池をのぞむ中庭。池の中には八角形のくぼみがあり、中国文化(風水)の影響を感じることができます。
釘を隠すための飾り。邸内に11種類あり、薩摩焼で「桜島大根」がデザインされたものや、幸福の使者と考えられたコウモリの姿のものもあります。
30代忠重が12歳まで過ごした部屋。忠重は父・忠義の死にともない家督を継ぎ、公爵となりました。後に海軍に進み、海軍大学校教官、英国大使館付武官を勤めました。