篤姫(天璋院)
徳川家13代将軍家定の御台所。彼女は、今和泉島津家から28代島津斉彬の養女となりましたが、養女となる前となった後にそれぞれ仙巌園を訪れています。
実家の今和泉島津家の別邸が仙巌園のすぐそばにあったので、近辺にしばしば赴いていたのではないかと考えられます。
嘉永5年(1852)は「於一」と名乗っていた篤姫が、実の姉妹とともに庭を見学しに訪れた記録が残っています。
翌年、斉彬の養女となり、篤姫と名乗るようになってから再訪。「焼物・硝子細工」を見たことが記されています。
この日、斉彬は彼女に「御焼物・硝子物」を贈っていますが、それぞれ薩摩焼と薩摩切子だったのかもしれません。この来訪の翌月に篤姫は江戸にむかいました。