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英国人家庭教師が取り入れた 島津家のクリスマス

クリスマス・クラッカーと笑い声が響いた 島津家のクリスマスの物語

クリスマス ツリー

12月に入り、南国といわれる鹿児島もぐっと冷え込む日が出てきました。
街にはクリスマスソングが流れ、イルミネーションをあちらこちらで目にします。

さて「島津家とクリスマス」というと、あまりつながりがないように感じられるかもしれませんが、島津家30代忠重(以後、忠重)がほほえましい思い出話を綴っていることをご存知でしょうか?

忠重は明治19年(1886)、鹿児島で生まれました。
祖父は島津久光(28代斉彬弟)、父は29代忠義で、幼少期を仙巌園で過ごしています。成長してからは、東京で英国人家庭教師エセル・ハワードに厳しくも愛情深い教育を5年ほど受けていました。
忠重本人の随筆に曰く、薩英戦争直後に英国と手を握り、直ちに英国の風物を容れ、長足の進歩を遂げた薩摩藩の姿を誇らしく思っていた当時の島津家顧問たちが、忠重や弟たちに一流の教育を受けさせたいという考えをもったようだ、とのことです。そのような要望を受け来日したミス・ハワードは、島津家に赴任する前はドイツ皇帝の皇子4人を教育したという、素晴らしい経歴の持ち主でした。

ミス・ハワードは、厳格に英語をレッスンし、「エー」の短音の発声を2、3時間続けさせることもあったようです。同時に、ただ話すだけではなく、上品な英語を話すことができなければならないと指導しました。忠重や彼の弟たちは、会話だけでなく、民主的な思想や生活習慣など、さまざまな影響を彼女から受けています。このことが、後に忠重が駐英大使館付武官となった際、大きな助けとなります。

決してミス・ハワードは厳しいだけではありませんでした。日本語のジョークで子どもたちを笑わせ、一緒に旅行をし、家族の一員として寝食を共にしました。そして、クリスマスを共に楽しんでいます。
そのときの様子を忠重が記した『炉辺南国記』の一文をご紹介します。

一日は私たちの親類の小児たちや大公使館の小児たちを集め、第二日はミス・ハワードが自分の費用で島津家職員等の小児たちを集めて、パーティーを開催するものであった。近年になって皇后陛下が私にこの時のことをお話になることがあり、その時の面白かったことをときどき思い出すといって、お話になったことに、左(ここでは下)のようなことがあった。

「永田町で外人の小児とクラッカーを引いて、私の方に中のおもちゃが来てしまい、その児が泣き出したので、困ってそのおもちゃをその児に与えて、やっと泣き止んだことを記憶しています」
無論当時陛下は久邇宮家の一王女としてお出下さったわけである。

クリスマスにミス・ハワードに贈ったものの一つに十円金貨十枚を縦に五枚ずつ二列に箱に入れて贈ったことがあったのを記憶するが、彼女はそれを貰って非常に喜んだのを記憶している。

※漢字等表記は原文まま

ここで出てくる皇后陛下とは、天皇陛下の祖母・香淳皇后(良子女王)のことであり、忠重から見て姪にあたります。ちなみにクラッカーとは、日本で一般的な、紐を引くとパンと音の鳴る円錐型のおもちゃではなく、英国のクリスマスパーティーには欠かせないという、伝統的なアイテム「クリスマス・クラッカー」のことです。これは、中央に小さなおもちゃや紙でできた王冠、ジョークやなぞなぞの書いた紙が入った筒状のもので、両側に取手がついています(写真参照)。

取手を2人で持ち、両側から引っ張ると、パンという音と共に片方の取手が外れます。中央のプレゼントが入った部分を持っている人が、中身のプレゼントを受け取れる権利がもらえるというものです。今でも英国では、食事の前にこのクラッカーを引き、食事中は中に入っている王冠を身につけ、紙に書かれたなぞなぞなどを出し合うのだそうです。笑顔のあふれるクリスマスの光景が浮かんできますね。

たくさんの子どもたちを招待し、英国風のクリスマスを楽しんでいた島津家。そしてミス・ハワードへの感謝の気持ちを込めて、美しい金色のコインを贈った忠重の穏やかな様子。戦国や幕末とは、また少し違った島津家の姿を、より多くの方に知って頂ければ幸いです。

皆さまに、よいクリスマスとなりますように。

小平田 史穂

尚古集成館学芸員
鹿児島大学法文学部卒業。放送大学非常勤講師 等
南日本文学賞詩部門受賞。鹿児島県文化芸術振興審議会委員

著作

『みんなの西郷さん』
『復刻版 炉辺南国記』尚古集成館、山形屋にて販売

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