ある晴れた春の日の夕方のことです。

 

私がカメラ片手に園内を歩いておりましたら、桜島がキレイに見える御殿前庭の梅の枝切りをしている方々から呼びとめられました。

 

「おーい!!いいものがあるから見てみ~」

 

いいもの?とても興味をそそられたので近づいてみました。

 

この画像の中にそのいいものが隠れています。 

 

(耳)ウサギ fark.jpg 

 

 本当に隠れているので、わからないと思います。ごめんなさい。

 

こちらの画像ではどうでしょう。

(耳)ウサギ-closer2k.jpg

 

彼がのぞき込んでいる岩のすき間に隠れているのは・・・

 

(耳)ウサギclosesk.jpg

 

!!!

 

なんと野ウサギの赤ちゃん3羽がお庭の真ん中で寄り添っていたのです!

 

翌日見に行くと、3羽はいなくなっていました。お母さんがどこかに移したのでしょうね。

 

 

3月上旬、カメラ片手に園内を歩き回っていた時に撮影しました。

明治時代に建てられた「正門」越しの満開のガンタンザクラです。

濃いピンクがとっても可愛い!

ガンタンザクラの次は何桜かな。

ソメイヨシノの薄ピンクも楽しみです。

 

 (島ブ)正門・ガンタンザク.jpg

 

 

※これは新作切子の名前ではありませんのでご注意ください。

 

春の穏やかな日差しがやわらかく輝き渡り、周囲の桜が微笑んでいるような美しい園内にて、古代の生物が発見されました。その通りです。来年の干支です。Dragonです。龍です。それは、遡ること1日の3月10日13時のことでした。

 

平日8時よりTBS系で放送され、全国の主婦に絶大な人気を誇る「はなまるマーケット」の撮影で、「ヘキサゴン」でも有名なスザンヌさん......の妹、マーガリンさんとその母、キャサリンさんが来園されました。

 

周りにいるお客様にも、桜に負けないような輝きの笑顔を振りまいていたマーガリンさん。そんなマーガリンさんが、園内切子館の前で、背面の山を指して一言。

 

「あれって......龍みたいですよね...」

「......」周りに居た従業員も、完全に一本取られてしまいました。

 

という感じで、マーガリンさんが発見した龍。「はなまるマーケット」のスタッフの目前で、「花まリュウ」の名前を頂きました。要するに...「はなまるマーケット」公認です。新スポットとして名乗りを上げた仙巌園の「龍」。本邦初公開です。

 マーガリンHP.jpgマ3hp2.jpg

(島ブ)ガイドさんの話.jpg 

鹿児島を訪れる観光客の八割は、ここ仙巌園に足を運んでくださっていると聞いています。

鹿児島を代表する観光名所の当園への印象が、鹿児島の印象となることも否めないところかと思います。

県外からのお客様には、鹿児島の情報発信源として、桜島の爆発回数や四季折々の風物詩、そして鹿児島弁の紹介などを盛り込むよう努めています。

また、歴史語りのみで単調にならぬよう和歌も紹介しています。

錦江湾の名の由来が、18代当主島津家久の和歌 「浪のおりかくる錦は磯山の梢にさらす花の色かな」

 にちなむことは、島津久微の「黒川記」より伺い知れます。

俳句・和歌を好むお客様もあり、茶会のみならず和歌や句会を開催するのも喜ばれるのではないでしょうか。

ときにはお客様からありがたい情報を頂戴します。

ばくちの木の皮を財布に入れておくと金運が上がると、私にも小片を分けてくださいました。

お陰様で「話の小銭」が増えました。

 

 

園内ガイド M

九州新幹線全線開業。

新大阪と鹿児島中央が結ばれ、関西と南九州とのつながりがより密接になります。

 

実は、島津氏は歴史上、大阪と深いつながりを持っています。

 

島津忠久(初代)は摂津国住吉大社(現大阪市)において雨の降る夜、狐火にともされて誕生したと伝えられています。

島津家ではこの伝承から稲荷神社を大切にし、雨を吉兆としています。また、住吉大社には忠久誕生石が境内にあります。

 

tanjohseki.jpgまた、豊臣政権期には島津義弘(17代)は摂津国北部に所領を持っていました。

 

幕末の集成館事業と大坂(大阪)も大きな関わりを持っています。

薩摩藩は慶応3(1867)年に日本初の近代紡績工場、鹿児島紡績所を建てました。当時、原料を大坂で仕入れ、鹿児島紡績所で加工し、再び大坂へ送って販売をするというシステムでした。この大坂・鹿児島間の輸送コストの問題などを解消するため、薩摩藩は堺に堺(戎島)紡績所を作りました。

 

sakai.jpg

 

明治3(1870)年にこの紡績所は建てられましたが、鹿児島紡績所の技術者である石河確太郎が家族で大坂に移って紡績所の経営にあたりました。後に石河確太郎は明治政府が作った富岡製糸場でも活躍します。

集成館事業によって花開かれた近代紡績技術は、鹿児島から大坂を経て、日本各地へと伝播していったのです。

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